第80回
本当に現代なのか? どうで死ぬ身の一踊り
 いい意味での破天荒とは常に過去の中にしか存在し得ないのではないか?
 いきなりファッキンに意味ありげで文学的な出だしだでアレだが、そう思わないですか?
 ほら、昔の芸能人は(由利徹とかユセフ・トルコ)は、トルコ風呂を貸し切って女を抱きまくったりとか、昔のプロレスラー(力道山とかユセフ・トルコ)はウイスキーを何本も一気のみしてステーキ10人前食ってミルク1ガロン飲んだとか、太宰治が違う女と何回も心中しようとしたとか……。
 心中はともかくとして、現代という目から見れば、昔はそういう時代だったんだなぁ〜、と思わせる、微笑ましい破天荒さじゃないですか。
 だが、そういう破天荒さを持つ男が、現代に生きたらどうなるのか?

 西村賢太の私小説「どうで死ぬ身の一踊り」はそれがよくわかる一冊である!
 こんな強烈な文学を書く人がまだ日本にいるのか! 本当にこれは現代の私小説なのか! 心の底からそう思った。そして、誰もがそうそう叫びたくなるであろう。
 本作は、昭和七年に死んだ小説家の藤澤清造を愛する作者が、藤澤清造の全集を出す作業に没頭する中で発生する人間関係の軋轢などを赤裸々に書いたものなんだが……あまり赤裸々すぎるし、その赤裸々さが現代のものとは思えないんですよ。
 現代の私小説はどこかクールである。
 しかし、ここにあるのは、大正か? 昭和か? と思わせる地下に向かって噴く黒い炎のような文学なのだ。しかもそこには、そういった小説にありがちなヤクザや麻薬といった裏社会を匂わすようなギミックは一切登場しない。
 表の社会を生きながら、よくもここまで暗い情念を爆発させるなんて、凄いよ!
 彼女に暴力をふるう。
 ↓
 逃げられる。
 ↓
 超必死に哀願してよりを戻す。
 ↓
 最初に戻る。
 このコンビネーションは壮絶。
 そんなことをする一方で文学者への強烈な愛を語るのだ!
 心の底から現代の出来事とは思えん!
 こんな熱い魂のこもった私小説はそう読めるもんじゃない! 素晴らしいぜ!