第55回
暇な時に蜂飼耳の詩を読もう
水際にあってこの家は植物になりかけるもはやその類の
ものだこうしたいきづかいは こうした いきづかいは



 蜂飼耳という詩人の『いまにもうるおっていく陣地』という詩からの抜粋である。
 というわけで今回紹介するのは蜂飼耳の詩集『いまにもうるおっていく陣地』と『食うものは食われる夜』であるッ。
 ……さてとだ。いまさらハッキリと言うこともないだろうけど、詩を読む人、特に現代詩を読む人の数はとんでもなく少ないだろうと断言できる。だって同人でもないのに詩集の売り上げが三桁とかいうことも普通にあるらしいじゃないですか。
 だいたいこのページを読んでいる人で『ユリイカ』や『現代詩手帖』を読んでます、なんて人は皆無だろう。僕も滅多に読まない。というか、詩が好きな人のOF会にでも行かない限りそんな人はきっと絶無だ。
 なぜ詩集は売れないのか? 読まれないのか?
 完全なる部外者の僕がわざわざその理由を書く必要もないだろうけど、一応書く。
 詩はわかりづらいのである。
 例えば、小説や漫画ならよほど難解な作品でもない限り、ただ読んでいるだけでストーリーやテーマはわかる。
 しかし、詩の場合は、読者が積極的に参加していかないと、ストーリーやテーマを理解できないのだ。
 小説と詩の違いは、映画と絵画の違いに似ていると思う。
 映画もただ見ていればストーリーやテーマはわかる。
 しかし絵画はそこに何が描かれているのか、そのモチーフに何を感じるのか、などということを見る人が積極的に考えていかないと、ストーリーやテーマはわからない。
 つまり、詩を読む、という行為はひどく面倒なことなのである。
 時間もかかるし、頭も使う。超ウゼー。そんなもんは過剰に暇な大学生くらにしかできねぇんですよ。馬鹿らしい。人間にはもっとやることがあるんですよ。
 ……しかし、なのである。
 詩集をパラパラと見て「意味わかんねぇ」などと言って断罪したあげくに、勝利者面している野郎を見ると、僕はチンコがもぎ取れるかめり込むかしそうなほど頭に来るのだ。
 意味わかんねぇのは、テメーが積極的に読もうとしてねぇからだろうが、ボケ。
 詩を読む時は、積極的に詩に参加する、これを忘れずに。
 ぶっちゃけた話が作者の意図とか、書評家の意見なんかはどうでもいいから、自分なりの読み方ができりゃそれでいいから、とにかく積極的になれ。
 
 前置きが過剰に長くなってしまったが、蜂飼耳の詩はいいですよ。
 まずタイトルかいい。大学を卒業してから詩を読んでいなかった僕が蜂飼耳の本を手に取ったのもタイトルが抜群だったからだ。
『モンゴロイドだよ』『たべられる仲間たち』『誰にも見えない降伏の旗』などなどタイトルだけでぐわーっと読者の想像力を刺激してくるじゃねぇですか。
 特に『モンゴロイドだよ』がいいなぁ。『だよ』というのが効いてる。自己確認であり、同時に誰かに呼びかけている言葉だ。己がモンゴロイドであることを確認し、それを誰かに言っているというのはいったいどういった状況なのだろうか? 頭の中がわーっとなるぜ。
 そして『アサガオ』はエロくてよかった。猫と散歩中に竹藪から少女と男が出てきたのを見てそこでエロいことがおこなわれていたのではないか、と想像する、という詩だ。蜂飼耳の詩にはエロっぽい雰囲気がただよっているものがあって刺激的だ。
『らじお・たいそう』も相当にエロいので一部を引用しよう。

 おとこたちは射精を夢みて
  ひるも よるも
  ながれのなかに
  そのただなかに
  らじお・たいそうを放つのだ

 少女たちはやわらかい腹に
 うまれながらの石を抱えるため
 あおく まつげまで あおく 染まって
  羊歯がほごける
  雑音のささくれに
  そのまんなかに うずくまる

 どうですか、このエロさは。


 そして冒頭で引用した『いまにもうるおっていく陣地』のしめっぽく土着的な雰囲気にはドキドキする。濡れて崩れて腐敗していく存在の背徳的な雰囲気がしひしひと伝わってるぜ。
 というわけで暇な時間があったら蜂飼耳の詩集を読んでみることをおすすめするぜ。

 ……『高菜むすび』に『地獄の骨法』という一文があって笑ってしまった。
 もしかして、蜂飼耳は格闘技ファンなのだろうか? 堀辺正史のファンなのか?
 もしくは古くからの格闘技ファンで格闘技通信チックに骨法に裏切られた思いが地獄の骨法という言葉を生み出したのか? 是非ともここらへんのことを聞いてみたいものである。
 おしえて、蜂飼耳。